被災地支援

相変わらず、支援物資は送り続けています。
ここのところ、会社にいる時間が短くて、
仕事以外のメールがチェックできず。
山のように溜まっていました。
やっとせっせと見て、支援物資を送った方からの返信を読んだり。
ほとんどは、被災されている個人の方への直接の支援ですが、
中にはボランティアで物資を集めている方もいます。


山形県で衣類を集め、ボランティアで近くの避難所へ持ち込んでいる方から
昨日と今日、現地状況をメールで頂きました。
避難所の方の話によると、まだまだ春・夏物衣類が足りないのだそうです。
でもそこの避難所は6月で閉鎖されるので、もう物資を受け付けていないとか。
秋・冬衣類の在庫が余ってしまい、行政も調整しながら募集をしているので
また夏物が余ることを懸念して、仕方がないのだとか・・・。


避難所では配布券が配られ、家族の人数に応じて公平に配られる。
とにかく公平に。
難しいのでしょうけど、若い方と高齢の方では必要とする衣類の数も
違うのではないかと。
ふと思ってしまいますが、こんな遠くから、
現状も見ずに言ったところでどうにもなりませんね。
そんなこと言うなら仕訳を手伝ってみろ、と言われそうです。
でも、歯がゆい気持ちもしますね・・。
期限切れの食品が段ボールで積まれていたりする。
かと思うと、食品がなく、8人で困っていますという訴え。


電話もありました。
福島県相馬市で、家が津波で流され、仮設住宅に入ったバスガイドの方と
知り合いになりました。
一度支援物資を送ったらお礼の電話があり、15分くらいかな。
お話しして、ガイドをしていっらしゃることがわかりました。
私が旅行会社だと言ったので、なんだか急に親しみを感じて、
私の母よりもう少し若いその方と、話が弾みました。
ガイドさんだけあって、明るく、被災地の方だとは感じさせない
なんというか、温かみのある声と話し方です。


「落ち着いたらお礼をしなくちゃと・・・。」
「そんなつもりじゃないので、そんなこと考えないでください。」


今までに送った数、今日送るもの、数えてみたら全部で23個になりました。
その中から、届いても何の連絡もない方が数人。
どうしてかなぁと思います。
送るものは自分の不要なものを、
中には「う〜ん。でもこれ、最近着ていないし」
と思いきったりしながら、相手の要望に合わせ送っているのですが
送料だって、全部合わせると万単位でかかります。
まだこれから布団を送ることになっている方もいます。
秋になって今度は冬の衣類、と言われたら、
すっかり不要品がなくなるまで続けようと思っています。
善意でやっていることなのだから、
「ありがとう、届きました」というのはマナーだと
思うのは、間違っているのかな・・・。
ゆうパックはちゃんといつ届けましたと、「お届け通知」が来るので
被災地なので届いていないのだろうかと、心配することもありません。
だから尚の事、送る前は依頼があって、届いてからは知らん顔とはねぇ、
と思ってしまう。


そんな中で、電話でわざわざお礼を言われると、
とても温かい気持ちになります。
先程のガイドさん、5月から少しずつ日帰りの仕事も入り、
今日からは長野に1泊の仕事が入ったそうです。
その方には、旅行かばんがいるのではないかと、
ほとんど未使用のままとってあったバッグの中に、お茶の缶など、
また少し日用品を詰めて第2段で送りました。


私にとっては家の中に本当に気に入って必要なものだけが残り、
そして顔も知らない人の為にいいことができるなんて、
一石二鳥ではありますが、できればやっぱり、
送ってよかったと思える人の為に何かしたいなぁと思います。
人間だから、仕方がないですよね。


震災直後は義援金を¥5万とか、寄付した友達の話を聞いたりして
迷っていました。
私もせめて会社で¥2万くらいは出そうかな。
みんなには¥1,000くらい出してもらって、それに足して、とか。
でも、一度出してしまったら何かいいことしているという気持ちになって
安心するし、更に又¥1万とか、難しいなと思っていました。
何か生きた使い道はないだろうかと。


そうして、出会ったこのボランティア。
寄付するつもりだったお金を送料に回せば、もっと送れる。
そして電話や、メールで「ありがとうございました。
こんなにたくさんの知らない方から応援されて、頑張ってみようと思います。」
そんな声を聞くと、送る相手を探す労力はかかるけど
でも、小さな支えにはなれているかもしれない、実感があります。


なんだか、日本っていいなって思える。
いい国ですよね。
こんな繋がりができるのだもの。
仕事しながら私も実は寝不足で大変だけど、でもね、そんなことよりもっと
充実感を味わえます。